舌禍防止策について

最近頓にニュースの鮮度が落ちるのが早い。
ひょっとするともう忘れている向きもあるかと心配しております。
某団体トップの「舌禍事件」である。
一時は彼の顔を一日数十回も見せられたものだが
この頃はとんと拝見しない。
心配する所以である。
 ともあれ何故「舌禍」が起こるのか?
「心にもない事を申しまして大変申し訳ございません」
 などと謝罪する輩もあるが笑止千万な事で、
「心にない事」が口をついて出るわけがない。
 心の中で繰り返し繰り返し精錬鍛錬された強固な信念こそが
口をついて出るのだろうという事は誰でも容易に想像出来るのでは
ないでしょうか?さてその信念の中身こそが問題で、
世の大多数が賛成できるものならば良いが拒否される内容ならば
今回の様な「舌禍事件」に発展することになります。
 そこで舌禍防止策は?心の中の信念とは何か・・・
畢竟それは「言葉」でしょう。
 聖書の有名な「はじめに言葉ありき」を私なりに解釈すれば
「言葉があって(名付けられて)初めて事物は存在し得る」
という事ではないかと思います。
つまり言葉で表現されないものは存在しない
(名づけられていない事物は存在しないか存在を認められていない)
という事だと思われます。
こう考えると舌禍防止策は簡単ですね。
 心の中から問題になりそうな言葉を一掃すれば解決です。
三十年ほど前でしたか「放送禁止用語」というものが問題になりました。TV番組でコメンテーターが問題発言すると横でアナウンサーが
「ただいま不適切な発言がありました。大変申し訳ありません」
等と謝罪し、当の本人は訳が分からずキョトンとして居るというような
珍場面が見られたものです。
 それも今は昔、コメンテーターも慣れたもので絶対と言っていいほど
禁止用語発言はありません。
「危ない人」は淘汰され「わきまえた人」だけが出演を許される
ということでしょうか。
つまり「放送禁止用語」のカテゴリーに有った事物は消えたのです。
 逆さに振っても問題発言の出てこない人間教育。
これこそが舌禍防止の要諦です。
 ただしそれが理想的な世の中なのかどうか議論の分かれる所だとも
思います。
 古い映画を放送する際に
「この作品には現代では問題となる表現がありますが、作品の価値を尊重してそのまま放送致します。ご了承ください」
等のテロップが流れることがあるのも事実で、
一筋縄でいかない問題だと思われます。

茨城県ひたちなか市のマッサージ・鍼灸治療 奈良操体療院
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諦めずにぜひ一度、ご相談下さい。